抗議声明 「おかしいと思うことに声をあげることで制裁を受けても、私たちは怒り狂うだけだ」
2020年2月、Aさんは不当な家宅捜索を受けました。ふだんAさんは、家父長制ネオリベ社会はおかしい!オリンピックはいらないぞ!と声をあげていますが、生活する場と記載されている住所が違うという「免状不実記載」ということを口実に、制裁(家宅捜索)がなされたのです。
突然大勢の警察がAさんの住居へ押し掛け、Aさんは、携帯電話、パソコン、銀行カードなど、生きていくために、生活するために必要な、連絡手段や財産、重要なものを、たくさん持ち去られました。
生体認証のためのDNA採取をされ、長時間の捜索の間、上着を着ることすら制止され、仲間を傍に呼ぶことも阻止され、トイレまで監視されました。
そして、Aさんと仲間の抗議によって、押収されたものが戻されたのは3月も末に入ってからです。
このことだけでも人権侵害であり、その間、生活が成り立たなくなるような酷い状況がつくられ、決して許されないのですが、それだけではありません。Aさんは、押収されたものから情報を盗みとられ、返されたあとも、捜査が続けられています。家宅捜索があった日から今まで、ずっとストレスが続いています。このような状態に置かれては、人間関係にも支障を来しかねません。
人権侵害はなはだしい家宅捜索や押収を行い、精神的苦痛を与えようとする警視庁公安部を許さないとともに、家宅捜索に対し令状を認めた東京地裁にも同様に抗議します。地裁も机の上でサインするだけでなく、サインをした自分がこのような人権侵害を認めているのだと、現場に来て一部始終を見て、立ち合うべきです。
生きづらさ、DV、暴力、いろいろな事情のために逃れる必要があり、生活の場所を「住所」として登録できない人はたくさんいます。せっかく逃げたとしても、オリンピックのような国策に対しておかしい!と表明することで、国家権力から、家宅捜索、人権侵害、日常生活がおくられなくなるような制裁がされる。こんなこと、許されません。
免状不実記載を理由にした家宅捜索と押収から3か月経ったいまも、わたしたちがこの事態を看過できないのは、homeら連で『脱獄』というZINEをつくったことにもあります。
つくったわたしたちも、手にとった人も、ヒリヒリ、ピリピリしたり、涙したり、こんな風に考えてもいいんだと思ったり、そうだそうだと頷いたり、それぞれ、いろんな思いを巡らせたと思うのです。
何故って、家父長制中心の家族のありかた、暴力にからめとられた家族のありかた、そういう「家族」「コミュニティ」「国家」から逃げることで、ようやく自分が自分らしく生きること、生き延びることが出来ること、そういうことを、感じるからです。
もっと記事に即して言うなら、わたしたちは、血縁や戸籍に縛られることなく、生きることは出来るし、生きたいのです。
最近は、感染症対策を名目に、政府は「家に居ろ」と、閉じ込めようとします。もちろん感染拡大を防ぐためだとしても、自宅待機によって、家族のなかに感染問題を押し付けられるのは、責任転嫁です。これまで家族のなかで子育てを完結しろ、家族のなかで介護を完結しろ、と言われてきた/いるのと同様です。そして、その家庭内でのケア(支払われない労働)は、いつも女性がすべきことだとされ、負わされます。
また、外に出ることや第3者の間接的な介入によって、生きづらさや支配、暴力から身を守ってきた人たちは、閉じ込めて管理されることによりこれまでの関係性の均衡が崩れ、命に関わる危険すらあり得ます。
災害時に、DVや性暴力が起こりやすいことは、これまでも報告されている通りで、家や逃げられない空間のなかに閉じ込め管理されることの問題性も、無視することは出来ません。
「家」は、全てのひとが安心できる場ではないのです。
家父長制の一番小さな集団の家族、家父長制が根付く社会、家父長制を維持するための戸籍制度と天皇制、家父長制によって国家を維持しようとする支配者たちは、そこから脱することを、脱するものを許さないのでしょう。
逃げることに制裁してくるような支配者たちに対して、はっきりと、ふざけるな!そんなこと許さない!と、わたしたちは声にします。
脱獄を読んでいるおんなたちへ。とどまっている人たちへ。暴力と、家父長制から逃げる全ての人たちへ。わたしたちには『脱獄』があることを、呼びかけます。
抗おう、こんな制裁を許さない、NOと言おう、そして生き延びよう。
2020年4月29日
homeら連
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Aさんへの家宅捜索に対する声明 リンク先
反五輪の会
NO OLYMPICS 2020> 反五輪の会 (Hangorin No Kai) - 反五輪運動の仲間への不当な家宅捜索に抗議する!
ふぇみん
ふぇみんな日々: 「五輪反対の声を上げるAさんへの不当な家宅捜索に抗議します」声明を出しました!
NO WAR連のZINE 「反戦 反核 ヌチドゥタカラ」
NO WAR連のZINE、「反戦 反核 ヌチドゥタカラ」ができました。
この反戦反核ZINEが出来たのは東京ですが、寄せられた声は、沖縄、グアム、ニュージーランド、ソウル、札幌、神奈川、東京に暮らすフェミニストたちから届きました。
そして、いま、という時間軸を越えて、過去からのフェミニズムの声も発せられています。
このSNS時代だからこそ、手作り感満載で、プロフェッショナルデザイン(電通みたいなの)に対抗し、組合や公民館やコンビニのコピー機を駆け巡り、汗と涙の手間ヒマがかかって、仕上がったフェミZienです!
このジンが、広く確実に飛んで行く事を願います。
オスプレイではなく、原発の放射能ではなく、ミサイルではなく、性差別性暴力ではなく、
反戦反核Zine飛んでいけー。
戦争反対ごはんー防衛省前で食卓を囲む私たちの理由
戦争反対ごはんー防衛省前で食卓を囲む私たちの理由
怒りはずっと頂点に達したままだ。
昨年春、沖縄で起きた元海兵隊兵士による女性への性暴力殺害。事件被害者を追悼し抗議の思いを形にするために、みんなでスタンディングをしZINEを作った。最後のページには、この事件から戦後までを遡る沖縄での性暴力の犯罪史が180センチにも及ぶ長さで綴じられている。
昨年12月には名護市安部の海にオスプレイが墜落、10月には高江に2004年沖縄国際大学に墜落したのと同じ大型ヘリCH35が不時着・炎上した。そして、先週は普天間基地近くの保育園にCH35ヘリの部品が、また昨日普天間基地に隣接する普天間第二小学校の校庭にヘリの窓枠がすっぽり落ちると言う信じがたい事故。1959年に米軍機が墜落し11人の子どもを含む18人が亡くなった宮森小学校の事故を思い出した。
基地がある故に命の危険と日々隣り合う暮らしを私たちは想像することができるだろうか?
普天間基地からオスプレイやCH35、米軍機が今日も何事もなかったように平然と飛び立ち、沖縄は踏みにじられる。事故直後からSNS等で「危ないならヘリが飛ばない場所に引っ越せばいい」などと言う言葉が飛び交う。性暴力事件の被害者に対してもこころない言葉が。考えてほしい。沖縄で米軍機が飛ばない場所、米兵がいない場所など皆無、基地がある限りこの危険はなくすことなど出来ないのだから。
安倍政権は来年度予算として史上最大の5兆2551億円を要求、敵地攻撃型の巡航ミサイルの購入を検討する。与那国・石垣島・宮古島・奄美大島の南西諸島への自衛隊部隊も新設・増強され、沖縄では日米合わせた基地の要塞化が進む。戦闘を想定した慣れない訓練に自衛隊機の事故も増えているのだ。不安は増すばかりだ。
森加計隠しとも言われた突然の解散総選挙。誰もが問題ありありと思っているのに、結果を見れば自民党の圧勝でガックリだ。「北朝鮮」からミサイルが飛んでくるとばかりにJアラートがなり、かつての戦争を思わせる防災訓練。防災頭巾でミサイル防げますか?まるで竹槍でB29を撃ち落とすのと同じくらいに滑稽だが、現在は「平成」も終わろうと言う2017年だ。戦争への地ならしを進め、一気に改憲を狙う安倍政権をこれ以上図に乗らしてはいけない。
なによりも大事なのは「ぬちどぅたから」、「戦争反対!」の声をガツンと一発。
で、何をする?
わいわいがやがやわさわさ・・・、
「防衛省前で何かやりたい!」
わいわいがやがやわさわさ・・・、
満場一致で「戦争反対ご飯」に決定した。
師走に近い夜、それは決行された。
食べたいものを持ち寄り、いっしょに食べる。駅弁売りのように首から下げたテーブルに食べ物が盛られ、ワインが注がれたカップや身体を温めるお茶も用意された。ライトアップし、デコレーションされたテーブルは私たちの思いが溢れた食卓なのだ。
手作りのご飯はあたたかい(買ってきたものもあるけど)。シェアしてほおばり、作り方を教えてもらう。その傍をちらっちらっと見ながら通り過ぎる防衛省の職員たち。今は交わることの無い私たちと彼らだがいつかはいっしよにご飯を食べれたらうれしいと思う。
高江のテントで辺野古で、ソウルの日本大使館前少女像の隣で、私たちは座り込みながらいろいろなことを話し考えてきた。時にはその場でご飯も食べる。思い切って「食卓」を持ち込めば、そこはあっという間に日々の生活の場となるのだ。「闘い」を特別のものにせず、日常の中で、自分の生活を脅やかすもの・ことと向き合いたい。さまざまな思い、怒りや戸惑いを仲間と共有し、闘いのエネルギーを蓄える場にもなる。
けれど、今はまだ、
怒りはずっと頂点に達したままだ。
やがて、「平成」は終わり、新たな天皇の時間が始まろうとしている。天皇の代替わりと改憲とオリンピックと戦争と・・・。私たちの自由を奪い、不自由を押し付けるこれらのことに怒りの声をあげたい。
「闘うおにぎり」は私の手の中にある。準備は万端、まずは腹ごしらえをして、それからみんなでいっせいに闘いの現場に出よう!
「戦争反対ごはん」、出前もします。けど、気が向いたら自分たちで作って「食べる場」、楽しくって大いに盛り上がるよ。(のん)
飛び立つ蝶(黙ってら連ZINE)
あの日から、何年。あの時から、何年。
軍隊・基地があるゆえに起こった事故から何年、軍隊から受けた性暴力から何年、日本軍による性奴隷制度と、慰安婦にされた女性たちが声をあげてから何年。様々な「あれから何年」という重み、いまに続く軋みが、わたしのなかを駆け巡る。
去年、元海兵隊員・米軍属により女性がレイプ殺害されるという痛ましい事件が起きた。その際に、抗議と追悼のスタンディングをし、できたZINE。
黙ってら連 「軍隊・基地いらない 性暴力NO!」 群蝶のスタンディングアピール 第2回 - ダンワら連
今年4月には、「沖縄の元海兵隊員による性暴力殺害から1年 基地・軍隊はいらない!4.29集会 デモ」(主催:基地・軍隊はいらない!4.29集会実行委員会)に、スタンディングでアピールした時の蝶たちを持って、黙ってら連からも参加した。
ZINEは、先日再び結集し、沖縄のこと、東京オリンピックのこと、そこからあふれでる抑圧や排除、海外のフェミニストとのパワフルな行動とつながり、そんなあれこれを話しながら再販した。
一部は香港のフェミニストたちのもとへ、またプエルトリコへと飛び立っていき、一部はIRREGULAR RHYTHM ASYLUM http://ira.tokyo/ に置かせてもらい、また手から手へと飛び立っていきそうだ。
「あれから」に想いを寄せつつ、「あれから」いまに続く時を生きつつ、黙っていないぞというアクションは小さくても続いていく。飛び立つ蝶とともに。
(そら)